2006年9月 6日 (水)

今を生きるという事

 

皆様こんばんは、店長です。

随分ご無沙汰で申し訳ありませんでした。

ホームページのリニューアルもほぼ完成し、

後は互換性の最終チェックになり余裕が出来たので

投稿しています。

 

いやーーーー、それにしてもホームページを

自分で作るって言う事がこんなにも

大変だったのかと痛感させられました。

これまでは、デザイナーさんに頼んでいたのですが

どうしても料理に素人のデザイナーさんには

意図が伝わりにくく、更新するときに

ものすごく大変だったので

自分で作ってみる事にしました。

 

1月半かかってやっとココまで辿り着きましたが

さてさて、皆様にはどう映るのやら・・・・

 

さて、先日とある雑誌を読んでいたら

こんな事が書いてありました。

齢80になられる女性の

料理研究家の方の話です。

  

世界中を飛び回り、世界の中の日本

また日本と言う国を客観的に見て

これからの日本の在りようを強く感じた

彼女はこんな言葉を残していた。

 

「日本は戦争に負けた。

 昔の日本の女性は強かったから、

 家や男性を支え、つまりは国を守っていた。

 だから、他国は”家”を狙って攻撃したんだね。

 女性を外に出すために。

 そして今の日本は、子育てや食事と言う

 大切な事を大切にしなくなっている。

 戦争に負けたと思い知らされるのは、まさに今なの。」

 

考えもしなかった視点での

物の見かたもさることながら

背筋がぞっとするような話である。

 

伝えなければならない何かがある。

他の誰でもない

自分にしかできない事・・・

 

人はそれを使命と呼ぶ。

80歳の料理研究家の彼女が伝えたいことは

何か・・・・・

そして、我々が伝えなければならないものとは・・・・

 

私たちは、私たちにしか出来ない方法で

このサイトを見る多くの人に

伝えなければならない何かがある。

そして、それが我々に与えられた使命だと思っています。

 

 

| | コメント (10)

2006年8月10日 (木)

アニキと兄貴

皆さんこんばんは、石原です。

 

ご無沙汰で申し訳ありません

御中元シーズンでバタバタしています。

 

今日はせっかくですので、僕の修行時代に付いて

皆さんにお話していきたいと思います。

 

あれは

 

そう

 

10年以上昔の話でした・・・・・・・・・・

 

 

初めてお客さんに、自分が作った料理を出した時の事でした。

その日はとても忙しく、店長と兄貴(料理の世界での先輩の事)

だけでは手が足りず、とうとう厨房デビューをすることに・・・・

 

店長「おい、トマトスライス作ってみろ。」

僕  「はい!!」

   (よっしゃー、やってやるぞ!!と意気込む僕)

 

勢い良く冷蔵庫を開き、野菜室を見渡すこと3秒。

その日届いたばかりの

キンキンに冷えた美味そうなトマトを発見。

 

「さあて、俺様のすばらしい腕前で客を虜にしてやろう」

 

と思い、研ぎあげられた包丁を手に取り、気合を入れて

切ろうとしたその時、イキナリ隣から怒鳴り声が・・・

 

店長「おい!まずは兄貴のトマトから使え!!」

俺  「はい!」 

 

(え?兄貴のトマト?兄貴のトマトって何だろう・・・・

 と思いましたが、舞い上がった僕は、

 兄貴のトマトと言うのを先輩が既に準備している

 トマトだと勘違いして、分けがわからないまま、

 言われたとおりに、兄さんのところに行きお願いすることに。

 

俺  「兄さん。トマトお願いします。」

兄貴 「あ?俺は今、手が離せないから自分で取れ。

    冷蔵庫に入ってるだろうが!!」

俺  「え?冷蔵庫に入ってる、普通のトマトですか?」

兄貴 「当たり前だろうが、他にトマトなんか無いだろうが」

  「あ、そうでね。はい、分かりました」

 

なんだ、ヤッパリこのトマトで間違いないんだと思い、

再度トマトをを切ろうとするとまたもや、怒鳴り声が

 

店長「おい、何やってんだ!!兄貴のトマトを使えって

   言っただろうが」

僕 「・・・・・はい。」

  (チョットイラつく僕)

 

どうしようもないなと思いながら、もう一度、兄貴のところへ

 

俺 「兄さん、トマト何処にありますか?

   もう一度お願いします。」

兄貴「あ?お前なめてんのか?自分で取れって言った

   じゃねえか。それぐらい出来るだろうが!!」

俺 「・・・・・すいません兄さん。店長が兄さんのトマトを

   使えって言われたので、兄さんのトマトが欲しいの

   ですが、どれが兄さんのトマトですか?」

兄貴 「は?何言ってんだお前。俺のトマトなんか無えよ。」

  「え?でも、アニキのトマトを使えって・・・・・」

兄貴 「アホかお前。兄貴じゃなくて、アニキだよ。」

俺  「・・・・と言いますと」

兄貴  「アニキって言うのは古いって意味だ!」

 

もう、ここまで読んだ方はお分かりでしょう。

僕は古いと言う意味のアニキと、兄さんの兄貴を混同して

いたのです。今でこそ笑い話ですが、カウンター商売では、

お客さんを目の前に、さすがに古いネタとは言えないので

「古い」と言う代わりに、「アニキ」と言う言葉を使うのです。

 

 

兄貴と弟

 

 

兄貴のほうが美味しそうに聞こえるからと言う理由らしい

のですが、当時の僕には知る由も有りませんでした。

専門用語・・・・・難しいものですね。

 

あ、それと

ちなみに、僕の初仕事を、

嫌な思い出にさせてくれた店長とは

ここの、宗右衛門の店長の事です 

 

Banner2_5←人気ぶろぐランキングにご協力を^^

 

・・・・・・・では・・・・・・・

| | コメント (92) | トラックバック (80)

2006年7月25日 (火)

土用の丑の日

みなさんこんばんは宗右衛門です。

九州地方は、記録的な大雨ですが

佐賀県は比較的軽症ですんでいます。

 

ただ、野菜の値段、特に緑の葉物野菜は

これから間違い無く高騰すると思います。

さて、今日は土用の丑の日も迎えたことですので

それにちなんだお話をしてみることにします・・・・・

 

 

 

魅力ある料理とは一体何をさすのでしょうか?

 

一番大事なのは何と言っても

 

      

 

どんなに安かろうと高かろうと

味が悪ければ話になりませんので

当然ですね。

 

次に            見た目

そして           雰囲気

更に           サーヴィス

意外な盲点が       匂い

 

 

大きく分けるとこれくらいでしょうか?

 

さて、今日はこの意外な盲点である

匂いについてちょっとした小噺でも

してみたいと思います。

 

 

昔あるところに

うなぎやさんがおりました。

季節は夏の真っ盛り。

脂の載ったウナギを

ジュウジュウ言わせながら

こんがりふっくら焼き上げます。

 

もうもうと煙を立ち上らせ

ぱたぱたとうちわで扇ぎ、

いいにおいをさせてます。

 

ある日そんなウナギやさんに

一人の奇妙な男が現れました

 

自称、大のうなぎ好き

 

しかしお金の無かった彼は

どうしてもウナギが食べたいと

お店の外に一人立ち

暫く辺りを眺めていました。

 

仕方なくあきらめたのか

その男はいつの間にかいなくなっていましたが

 

次の日

 

手に、大盛りに盛られた白ご飯を持って

再び現れると

うなぎのにおいでご飯を食べ始めました。

 

うなぎやは最初こそ

笑って見ておりましたが

その彼は次の日もやってきました。

 

次の日も

そのまた次の日も

 

ウナギやさんも

連日来られたらたまりません。

そこで彼にこう言いました。

 

「こう毎日来られたんじゃ商売上がったりだ!!」

「気持ちは分かるが、食べてえんなら金持ってきな!!」

 

そして翌日

再び現れた男は

性懲りも無く

うなぎの匂いでご飯を食べ始めます。

 

堪忍袋の緒が切れた店主は

鬼の形相でその男に近づきました。

 

そして、店主が男の目の前に来た瞬間

その男は

おもむろに

右手を差し出します。

手には、金の入った袋を持っていました。

「話が分かるじゃねえか」

と言った店主を尻目に

 

その男は

目の前でじゃらじゃらと

音だけきかせたそうな・・・・・・・・・・・・

 

まあ、なんとも小気味の良い話ですが

旨いオチが付いたところでおしまいです。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

| | コメント (239)

2006年7月 1日 (土)

古竹さんの「ふるたけ牛」との出会い

 

皆さんこんばんは

お久しぶりの店長です^^

雨が多い今年の梅雨ですがいかがお過ごしでしょうか?

 

今日は古竹さんとの出会いについて・・・・

と言うリクエストでしたので

石原君に代わって私が担当します。

 

そう。

思えば私が古竹さんと出会ったときも雨が降っていました。

 

遡ること昨年の11月。

本来の目的は、伊万里牛探しではなく

伊万里焼の窯元を尋ねて

いろんな器を勉強しに行こうと言う目的でした。

 

同じ佐賀県に住むとはいえ、慣れない土地ゆえ

地図を片手に小雨の振る中

一路、伊万里に向かって車を走らせます。

 

焼物のギャラリーは市内にもあったのですが

窯元さんは土が取れる山のほうに

工房を持っている方もいるらしく、

道なき道を 勘と型式遅れのナビを頼りに

彷徨います。

 

明らかに道に迷い、雨ゆえに

視界も悪く、自分達がどこにいるのか分からなく

なって引き返そうとしたそのとき

ある言葉が僕らの目に飛び込んできました。

 

木と木の間に弾幕(のれん?)みたいなものが

張られていて、そこには(正確には思い出せませんが)

こう書いてありました

 

平成17年度 

 全国肉用牛枝肉共励会最優秀賞のふるたけ牛

 

と。

最初は、良くある宣伝文句みたいなもので

お菓子で言えば、モンドセレクション 金賞受賞みたいな

物だと思っていましたが、始めてみる言葉だったので

ちょうど近くを歩いてらっしゃった農作業中の

オジさんに声をかけます。

 

分かったことは

昨年の全国一のチャンピオン牛を育てた人の

牧場がすぐソバにあるということでした。

 

これを聞いた僕らは、道に迷ったことも

器を見に来たことも忘れ

とにかくそこに行ってみたくなりました。

 

近くにいらっしゃるということで

アポも取らず、はやる気持ちを抑え

早速向かいます。

 

家に行ったけれど不在だったらしく

今度は牛小屋を見に行きます。(勿論アポ無しです・・・)

 

すると、そこに一人の男性が・・・・

年のころで言えば40代。

年で人を判断するわけではありませんが

まさか、その方が古竹さんだとは気づかずに

勝手に牛小屋に来た僕らが発した第一声は

 

「あ、おじさん。すいませんけど。古竹さんは

 いらっしゃいますか?」

 

「は?オイが古竹ばってんが、どちらさんですか?」

 

「あ・・・・・あ・・・・・すいません・・・・・・・・・」

コントではありませんが、これが始めての出会いでした。

 

その日は雨だったせいか

そんなに忙しくも無かったらしく

ウチに案内していただき、話をはじめます。

 

特別、古竹さんの牛を宗右衛門で使いたいとか

そういうものが目的ではなく

一人の料理人として、一人の生産者と話しをしました。

 

そこでいろいろなことを教わりました。

土作り

牛一頭一頭にもクセや特徴があること。

食べさせるものの気遣い。

 

そして、牛のことが気になって

この20年間。旅行にすら行っていないということ・・・・・

 

ああ、この人は一流の、本物の職人なんだと感じました。 

 

私が定める一流かどうかの定義は簡単で、

自己満足で働いているか

己の使命感で働いているかの違いです。

前者は技量やお金を求め、後者は突き動かされるある種の

衝動や内から湧き上がる情熱で動きます。

そこに、技術やお金は存在しません。

だって、技術やお金は他人が他人と比べる価値感だから・・・・ 

 

話がそれましたが

その実直さ、ひたむきさ、男としての内に秘めた熱さ。

話を聞いている私たちも熱くなってしまいます。

そして、僕らの話を少しだけしました。

 

最後に、

「偶然ってあるものですね。」

と言う話をして、帰ることになりました。

 

自分ではそんなに時間がたった気がしませんでしたが

3時間くらい話していたみたいで

予定を変更して

窯元めぐりは、また今度・・・・・

 

「いやーー、それにしても良い出会いだったなあ」

 

そんなことを思いながら帰路に着きました。

後日、改めて電話をして、先日の感謝を伝え

みんなにも肉を食べさせたいから

今度送ってくださいね。と言う話をしました。

 

これが、私たちと古竹さんとの出会いでした。

まさか、これが縁で一緒に仕事をするなどと言うことも

考えていませんでしたし、

正直、どっちの料理ショーから取材の依頼が来るなどとは

全く予想もしていませんでした。

 

しかし、今回のテレビ出演で

一人でも多くの人に「古竹さん」と「ふるたけ牛」の素晴らしさを

皆さんに知っていただき、

また、古竹さんだけでなく

日本全国の職人さんたちの励みになっていただけたのは

何よりのことでした。

 

名前が売れるというのは

良い面もあれば悪い面もあります。

良い面は前述したとおりですが

悪い面は、環境が変わってしまうことです。

 

放映後、多くの視聴者様から私共のサイトだけでなく

古竹さんの自宅にも様々な電話が掛かる事でしょう。

あんまり電話が掛かってきて、仕事にならないと言うことに

ならなければ良いけれど・・・・

だれかが、古竹さんの名前を騙って、いんちきな商売を

しなければいいけど・・・・・

 

そんな不安もよぎります。

ですから、もし、今日このサイトをご覧になられた方。

古竹さんは、テレビに取り上げられても

あくまで一人の、実直な生産者であることを

どうか御理解下さい。

 

そして、もし、古竹さんの「ふるたけ牛」に

出会う機会があったなら、

そのときは、古竹さんの笑顔を調味料に

美味しいひとときをお過ごしくださいませ。

 

 

Banner2_5←古竹さんと宗右衛門を応援していただける方は人気ぶろぐランキングにご協力を^^

 

  

 

 

 

 

| | コメント (20)

2006年6月13日 (火)

失うことの大きさ・・・・

みなさんこんばんは。

今日は早速ですが

こんな記事を見つけたので読んでみてください。

 

 (以下本文転載)

 

70-80年代にかけて活躍した

南アフリカ出身のサーフィン界のスーパースター、

ショーン・トムソン(55歳)。

彼は15才になる息子マシューを

不慮の事故で失った。

ショーンは世界に向けて彼の手紙と写真を配った。

下記はそれを翻訳したものである。

ここに彼等に哀悼の意を表し、

慎んでマシュー君のご冥福をお祈りします。

 

 

私たちの愛する15才の息子

マシュー・トムソンは、ダーバン(南アフリカ)で

2006年4月24日月曜日の夕方に

男子生徒のいたずらで尊い命を失った。

 

翌日予定していた

初めてのラグビーに興奮して電話で話していた彼。

そして、どれだけ私たち両親のことを

愛していてくれているかを話してくれた彼の話が、

南アフリカと

仕事でカリフォルニアのサンタバーバラにいた私と

電話で交わした最後の語だった。

 

 ~ 中略 ~

 

下の作文は彼が最後の月曜日に書いたもの。

妻と私は、彼の残した美しいことばを

世界中にいる我々の友人と共有したい。

 

 

「おとなになること」      マシュー・トムソン

 

ディープ・インサイド・バレル 。

完全に僕自身と調和して、それ以外は何もない。

風が強く吹いて、スピッツが僕の後ろをたたいている。

僕の手は壁を撫でるように引きずっている。

前方には光が差している。

僕の長い髪は風になびいて、

足はサーフボードのパーフェクトな場所にあった。

 

前屈みになるにつれて、

バレルは閉じはじめて来たけど、

どんどんスピードアップしている感じだった。

足の限界までうずくまり、

そして、それから僕は歓声が上がるラインナップへ

プルアウトした。

体は幸せと喜びでゾクゾクして、

やっとリスペクトとされた気分だった。

 

僕は、再び自分のボードでパドルアウト。

右を向くと友達のケオニが見えた。

彼等は自分の方へパドルして来る。

僕の喜びに溢れた気分は彼等が来るや否や消えてしまった。

僕は口を閉じて本当にビビっていた。

彼は僕の前で止まって、僕に手を上げた。

 

ハッと思って身をかわした。

ぶたれたかと思ったけどそうではなかったんだ。

 

目をゆっくりと開いて手を出すと彼が堅く手を握った。

それはリスペクトのサインだった。

僕は彼の目をじっと見つめ、僕らは一言もしゃべらずに

一緒にポイントまでパドルして行った。

 

その瞬間は、

どんな言葉でも説明出来ないほどパワフルだった。

 

それからシーズンの終わりまで、

僕は自分が乗りたいと思うより

多くの波に乗ることを許されたんだ。

僕はこれまで「仲間」になることを想像すらできなかった。

でも僕は友達になった。

そして永遠に。

それが僕が大人になった日なんだ。       

 

 

 (終わり)

>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 

 

この作文を分かりやすくいえば、

15歳の彼がチューブを決めた時の話である。

 

チューブとはサーフィンをするものなら

誰もがあこがれる

波が崩れるときに巻いて出来た空間を

すり抜けていくことである。

 

そのチューブの中にいた自分が

感じたことや、それを成功したとき

彼は祝福されるより

一人の男として認められることになった。

と言う話を語ったものである。

 

専門用語を説明するよりも

絵で説明すると、下の写真と同じ事を

彼は成功したのである。

  

Hd171 Hd172

 

 

Hd173Hd174

Hd175Hd176 Hd177

 

 

 

 

 

 

失って初めて分かることがあるという。

 

それは私達の生活の

身近なところに存在している。

 

自然環境にしても然り

恋人にしても然り

夫婦にしても然り・・・・・・ 

 

それが

取り返すことの出来る物ならば

失った原因が自分にも有るのならば

 

悔いは残るが

理不尽さは感じない。

 

人はそれを

失敗は成功のもと   と呼ぶ。

 

しかし

それが理不尽極まりない

理由であれば

その存在がなくなったことに対する

喪失感は計り知れないものがある。

 

15歳の息子を失った父親が

冒頭で語った文章と

 

若干15歳でチューブを決めて

これから、やっと一人の大人として

人生をスタートしようとした彼の死。

 

今日だけは

彼に敬意を表して終わりにしたいと思います。

 

今日のブログを

理不尽な死によって

悲しむ、全ての人に捧げます・・・・

 

料理と関係ない文章でしたが

ここを訪れる多くの人に少しでも知って欲しい

事をお話させていただきました。

 Shaun_mathew

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 http://www.surfmedia-tk.co.jp/g060515.html

 

 

 

 

 

 

| | コメント (1)

2006年6月 8日 (木)

せっかくなので・・・

今日は雨・雨・雨ですね。

 

とうとう梅雨入りしたみたいで、

これから毎日うっとおしい雨が続くのかと思えば

チョット気が滅入ってしまいます。

 

ところで先日の内容は牛についての内容でしたが

ほとんどの方のコメントは

僕の意に反して

カエルについてのコメントでした。

 

と言うことなので

今日は皆さん大好きなカエルについて

お話したいと思います。

 

普通の話では面白くも無いので

今日は

『甘く見ちゃいけないぜ!!』

と言うカエルについてお話しましょう。

 

蛙には毒を持ったものがいます。

日本ではヒキガエルが有名ですね。

 

皮膚から分泌される、白い液体が毒なのですが、

実は時代劇によく登場するガマの油売り。

このガマ油はヒキガエルのことです。

耳から採集される分泌液には、

強心興奮作用があり、その他には

ひび、あかぎれ、外傷などの治療に使用され、

江戸時代から明治時代にかけて売られていました。

 

まあ、薬に代用できるくらいですから

そんなに対して強い毒ではないということです。

 

では皆さん、

ヤドクカエルと言うカエルをご存知でしょうか?

 

南米コロンビア原産のこのカエル。

日本名でヤドクカエルと言うのを漢字で書けば

矢毒カエル。

 

そう、聡明な貴女はすぐに分かったでしょうが

矢の先にこのカエルの持つ毒を塗って

武器にしていたそうなのですが、

詳しく調べてみると

このヤドクカエルのもつ毒の名前は

 

バトラコトキシン

 

いわゆるフグなんかと同じで

神経毒に属する物なのですが、

実は、たった1gで約10万人の成人男性を

殺傷する能力を持っています。 

 

そのほかにも南米だけでなく

世界各地に相当強い殺傷能力を

持つ猛毒カエルが数多く存在しますので

皆さんもお出かけの際にはご注意下さい。

 

しかし、世界的な話で言えば

今、世界中の蛙が急激に減っています。

特に1970年代中~80年代初が顕著でした。

 

やはり、原因は地球環境の悪化です。

酸性雨、オゾン層の破壊、生態系の破壊、

飼育用に輸入されることによる乱獲、

環境ホルモンの可能性も大です。

 

カエルは人間とは違い皮膚を通じて呼吸と

水分補給をしていますから、

他の生物に比べ

大気中の化学物質を体内に取り込みやすいのです。

また、変態と呼ばれる劇的な形態変化をします。

 

勿論、本物の変態のことです。

環境や気候にあわせて色を変えるカメレオンのごとく

カエルもまた変異します。

 

この時作用するのがホルモンですから、

環境中の化学物質が環境ホルモンとして

作用する可能性は大きいのです。

日本でも多くの異変蛙が報告されています。

 

 

本当は楽しい話をするつもりでしたが

何故、いつもいつも行き着く先が

環境破壊による生態系の変化に

行き着くのでしょう・・・・

 

僕達は人間です。

アニメの世界ではないので

カエルや植物とは会話をすることも

出来ません。

 

しかし、知れば知るほど

恐怖を感じてしまうのは僕だけでしょうか?

 

僕達の知らないところでおきている

地球の変化にもっと耳を傾ける事が

一人ひとりに求められているのかもしれません。

 

料理の世界にはこんな言葉があります。

 

無知は恥である・・・・・・・

 

もう一度考えてみる

必要があるのかもしれません

井の中の蛙 大海を知らず

と、ならない様に。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

 

 

 

 

 

| | コメント (7)

2006年5月30日 (火)

絶滅したもの・・・・・

今から約7500万円前

 

地球に巨大隕石が衝突し、

恐竜が絶滅したといわれています。

 

さて、この話

本当でしょうか?

 

実は、これは本当なのです。

  

最近の科学の発達は目覚ましいものが

あると言うのはどこかで聞いた様な話ですが

現在の科学技術を持ってすれば

隕石の落ちた場所、大きさ、規模まで

全て分かるそうです。

 

気になるその破壊力は

 

7600年前に衝突した隕石は

直径が10Km程度。

重量は2兆5000億トン

そしてその威力は

長崎型原子爆弾に換算して50億個分!!!

 

これだけでも甚大な破壊力であることは

容易に想像が付きますが

あまりに桁外れの破壊力過ぎて

いまいちピンと来ません。

 

これが最も分かりやすいのでは無いでしょうか?

 

クレーターの

直径は170Km以上、

発生した津波の高さは1Km以上!!

 

こんなものが大陸に直撃すれば

たまったものでは有りません。

だって、世界最高のエベレスト山ですら

すっぽり飲み込んでしまうのです。

 

どこに逃げても間違いなく

吹き飛ばされます。

 

ウィークエンドサーファーの店長に聞いてみたら

 

「1キロの波?そんなの死ぬよ。

 だってハワイのパイプラインっていう

 世界最大の波ですら6mから8mくらいだよ。

 それでも毎年プロのサーファーが

 死んでるんだ。

 そんなモン。飲み込まれたら

 コインランドリーの大型洗濯機の中に

 てんとう虫入れてるようなもんだよ。」

 

との事。

 

まあ、分かるような分からないような

説明でしたが、とにかくとてつもない

威力だと言うことは十分に分かりました。

 

しかし

 

しかしです。

 

この時の生命の絶滅は

過去の絶滅に比べて

そんなに大きなものではなかったのだそうです。

 

これまで地球上では

6回、大規模な生命の絶滅が起きています。

 

過去最大とされる5億4000万年前

     その次が4億3900万年前

          3億6700万年前

          2億5100万年前

          2億 800万年前

そして、恐竜が絶滅したとされる6500万年前。

 

過去の5回の生命の絶滅の理由は

まだ分かっていない部分も多いのですが

この、隕石の衝突は通称「衝突の冬」と呼ばれ

そんなに長い期間は続かないそうです。

 

隕石の衝突よりも衝撃が大きいものは

「ブルームの冬」と呼ばれる、超大陸の分裂に

よるものです。

古代大陸パンゲアが大陸移動によって

分裂したことは中学校の地理で習いましたが

この大陸移動は1000万年以上もの間

太陽光を遮る要素となって、甚大なる被害を

与えたそうです。

 

この、大陸移動がおきたのは2億5000万年前

 

上の表をごらん頂きたいのですが、

当てはまるところがありますね・・・・・

 

しかし、最近発表の科学誌ネイチャーによると

2億5000万年前の生物の絶滅は

隕石の衝突とされていました。

 

どちらが正しいのか分かりませんが

外的要素(隕石)よりも、内的要素(大陸分裂)

のほうが被害が大きいというのは意外でした。

 

体の傷は治っても

心の傷は治りにくい・・・・・

 

人間の体も

地球も同じように出来ているのかもしれません。

 

環境汚染が叫ばれている現代、

たまにはこんな話もいいのではないでしょうか

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

次回も今回に引き続き

チョット地球について勉強してみたいと思います。

 

 

| | コメント (5)

2006年5月26日 (金)

北の零年

 

先日、遅ればせながら

北の零年という3時間弱の映画をビデオで見た。

 

まだ見ていない方のために

内容は割愛するが、

大まかな流れを話すと

時は明治3年。

廃藩置県が行われる直前に

現在の淡路島より

北海道移住を命ぜられた人たちの

北海道開拓の物語である。

 

未開の北海道で

環境、風土、全てが全く違うところで

一から町づくり、

いや

生きるための場所を作り始める人々。

 

勿論、家を建てる木材を自分達で調達し

稲を植える田畑を開墾するところから始まる。

 

何年しても稲が根付かず苦労する人々。

そして、そんな苦労をあざ笑うかのように

やっとの思いで根付いた稲を

イナゴに食い荒らされてしまうという

場面があった。

 

わがサイトでも

度々登場する農薬問題。

農薬の長所、短所・・・・・

それを皆さんに問いかける内容で話した。

 

そして、また考えた。

 

僕達が当時に生きる人間なら

農薬を使って食べ物が取れるのなら

迷わず農薬を使っていたのではないだろうか?

 

生きるため、

そして

もうこれ以上餓死していく

子供達を見たくないという

切なる思いで作られた農薬。

 

今でこそ、忌み嫌われる対象だが

当時の人にしてみたら

画期的な発明だったはず。

 

以前、こんな話を聞いたことがある。

 

ノーベル賞の生みの親

アルフレッドノーベルが

ダイナマイトを発明したおかげで

トンネル工事や開発に役立った。

 

けれど、

そのダイナマイトを爆弾にした人たちが

戦争で多くの人を殺した・・・・・・・・・・・

 

 

アインシュタインの頭脳を活かし

莫大なエネルギーと人類の進歩に役立った

核エネルギー

 

しかし、そのおかげで

原爆により多くの人が亡くなった。

 

これからも新たなものが発明され

そして、問題となって

きえてゆくであろう

 

そして、その時代に生きる人々は

悩み、苦しみ

解決策を見出していくのだろうか・・・・ 

 

これは、人生にもいえること

 

傷つき

痛みを知り

そして初めて学ぶ。

 

当たり前のことを

ありがたいと感じる・・・・

 

人間は一本の葦にすぎない。

自然のなかで最も弱々しい物である。

しかし彼は考える葦である。

彼を押しつぶすのに、宇宙は武装などする必要もない。

ひと吹きの風、ひとしずくの水で十分である。

しかし、たとえ宇宙が人間を押しつぶそうとしても、

彼はその押しつぶそうとする宇宙よりも尊い存在であろう。

なぜならば、

彼は自分自身が死ぬこと

そして宇宙が人間のうえに優越することを知っているが、

宇宙はそれについて何も知らないからだ。

 

それゆえ、人間の尊厳は

すべて考えることの中に存在する。

 

我々が自己を高めねばならないのは

そこにもとづいてであって、

決して埋めることができない時間や空間にではない。

 

だから我々は深く考えるよう努力しよう。

 

人生は常に1歩進んでは

1歩戻っているのかもしれない。

 

しかし、進もうとする努力

ふと立ち止まり、戻る勇気をもった人たちと

ブログを通して知り合うことが出来た。

 

僕はそんな人たちを見ると

たとえ一歩進んで一歩戻ろうとも

また、それが本人には気づいていなくとも

前に進んでいると

伝えてあげたい。

 

優しさの価値。

それは、事実と反するものなのかもしれない。

 

しかし、感謝の心を忘れないように

日々を過ごしたい。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

| | コメント (2)

2006年5月24日 (水)

かるくヤバイ?  かなりヤバイ・・・・・

 

世の中には様々な恋愛感があります。

 

愛が憎しみに変わる恋愛も有れば

波乱万丈を繰り返しながらも

ハッピーエンドに終わる恋愛もあります。

 

その中でも

最も腹立たしいのが

電車でいちゃつくバカップル!!(汚い言葉ですいません)

 

その次に腹立たしいのが

映画のような美しすぎる恋愛。

 

何故あんなにも美しいのでしょうか?

単なるひがみに過ぎませんが

羨ましくなってしまします。

 

私は考えました。

 

そして、ある結論に達しました。

 

皆さんこんばんは

今日は、いつもとは内容を変えて

恋愛とは何か!!について語りたいと思います。

 

本来ならば今日は幕末期から現代に見る

食の事情などについて

語ってみようかと考えていました。

 

しかし、そんな私をあざ笑うかのような

出来事が起きてしまったのです。

先日、とあるサイトを見つけました。

 

恋愛頭脳というサイトです。

 http://hanihoh.com/love/

 

このサイト、恋愛の価値観を図ってくれるサイトで

いくつかの質問に答えるだけで

その人の恋愛感を分析してくれるというのです。

 

早速やってみました・・・・・ 

 

結果は

 総合判断  論外

 恋愛感レベル  危険(14段階中13番)

 

【恋愛観支持率】 0
【恋愛スタイル】 短期低テンション恋愛型
【印象】

頼り甲斐がないと思われています
敷居が高くてアプローチしづらそうなイメージがあります
どことなくギラついてて怖いイメージがあります
誠実そうなイメージがあります
価値観が子供っぽいという印象があります

 

 

「はい?????」

 

 

論外・・・・・しかも、危険・・・・・・・ 

 

この結果を出した人は

一体、何の恨みがあって

私の恋愛感を

論外、しかも危険などと判断するのでしょうか?

 

しばし呆然とする私に

追い討ちをするかのように

コメントとして、こう書いてありました。

 

 

恋愛観は、完全崩壊しています。

あまりに恋愛観がかけ離れているので、

喜怒哀楽を共有できませんし理解もされません。

もし、現在彼氏彼女がいるとすれば、

相手を黙らせるだけの魅力を備えていなければ

長くは続かないことでしょう。

 

相性のいい人も数が限られており、

付き合いが少なければ

この恋愛観はますます独走します。

柔軟な姿勢で広い価値観を求めましょう

 

 

ということだそうです。

 

あ、そういうことか。

つまり、理解してくれる相手さえいれば

問題ないということですね。

そもそも恋愛なんか

当人同士が良ければ、

誰がなんと言おうと良い訳で・・・・・・・ 

 

などと都合がいいように解釈をして

自分を正当化しようとしていましたが、

あまりに一方的な答えにむなしさを感じた私は

せめてもの望みを託し

早速、ウチの奥さんとの相性を見るべく

最後の賭けに出ました。

 

結果は

ジャンル 相性
人生における恋愛

男性の気合が空回りし、女性に

とって重く感じられます

社会における恋愛 ×

女性は大人ですが、男性からは

壁があるように感じられます

自己犠牲の精神 ×

男性が女性に見返りのない

愛を注ぎ、いずれ朽ち果てます

ルックス 問題なし
財力 問題なし
安定と刺激 問題なし
駆け引き 問題なし
許容と束縛 ×

男性が縛るからこそ女性が

自由を求める悪循環になります

将来への意識 問題なし

性レベルはです( 相性 73 % )

 

 つまり、気合いを入れすぎて

見返りの無い愛を注ぎ込んだ挙句

 いずれ朽ち果てる・・・・・・・

 

      しかし

将来は、問題なし!!!!!

 

もう、私は満足です。

誰に何を言われようと

結果よければ全てよし!!

 

恋愛感を話すなどと、大それた事を

言っていましたが、

私にはそんな資格はありません。

 

今日はそれに気づけただけで

満足です。では、皆さんもお試しあれ・・・・・・・

  

今日は石原君口調で店長川﨑が

お送りしましたがいかがだったでしょうか?

 

あ、それと

 

♪♪ あみだくじ あみだくじ ♪♪ 

♪♪ 引いて楽しいあみだくじー ♪♪

 

っていう歌は、サザンオールスターズの

桑田佳祐さんが作ったということを

知ってましたか?

「へぇ~~」と思った方は

いつものあれをお願いします 

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

 

 

 

| | コメント (5)

2006年5月18日 (木)

さよなら・・・のあとに

 

ゴールデンウィークが明けて

東京での仕事も落ち着いた?

というより、わざわざ広報活動で東京に

居る必要が無いと分かったので

今月いっぱいで

九州の本店に戻ることになりました。

 

と言うことで、

また、住むところを探すべく

先週、ゴールデンウィークの代休を兼ねて

久々に実家に帰りましが  

運が悪いことに、帰った日に限って

雨・・・・・

 

毎年決まってこの時期に

墓参りに行く僕にとっては

嫌がらせとしか思えません。

 

どうしてもその日しか時間が無かったので

掃除道具と一緒に

一応、線香も持って行きましたが、

 

マッチを持っていくのを忘れていました・・・・・・・

 

「はぁ」と呟き、トボトボと帰りましたよ・・・・・・。

 

家に着き、地元の新聞を読んでいると、

ちょうどその日は母の日で、

こんな記事がありました。

 

(以下、新聞より抜粋)

 

映画評論家の淀川長治さん(九八年死去)、

作家の永六輔さん(73)

イラストレーターの和田誠さん(70)

歌手のさだまさしさん・・・。

何のつながりかといえば、四人とも誕生日が同じである。

 

ある年の誕生日、永さんらは最年長の淀川さんを

食事に招待しようとした。

さぞや楽しい懇談になるはずだったが、

淀川さんが断ったために実現しなかったという。

 

その理由がなかなか味わい深い

「私は母と一緒に過ごします。

誕生日というのは、自分が祝ったり

祝われたりする日ではありません。

お母さんに感謝する日です。

母と食事するなり、いなければお墓に行くなり、

母を考えて過ごす日です」。

 

それ以来、ほかの三人も

淀川さんの言葉に従っているという・・・・・・

 

「誰が産んでやったと思っているの」

「産んでくれと頼んだ覚えはない」。

口には出さずとも、

誰もがそんなぶつかり合いを経験してきたのではないか。

 

年を重ねるにつれ、母への感謝は深まり、

素直に表せるようにもなってくるが、

淀川さんのように過ごしてきた人はまれだろう

 

きょうは「母の日」。

百貨店やスーパーは母の日商戦で盛り上がっている。

いかにもイベント化した状況には背を向けたくもなるが、

誕生日の埋め合わせをするにはいい機会である。

プレゼントはともかく、「母を考えて過ごす日」にしたい

 

 

そして、最後にこう綴ってあった。

 

 

永さんは両親を亡くした時の思い出をこう書いている。

「同じ悲しみなのに、父のときは無性に淋しく、

母のときは無性に虚しかった。

淋しいのは耐えられるが、

虚しいのは耐えられなかった」。。。。。と。。。。。。

 

 

先日の記事で

記憶というのは曖昧だからこそ

美しいと言う話をしました。

 

僕の中にある母の記憶と

淀川さんたちの過ごした母との記念日。

 

どちらが美しい記憶かといわれれば

やはり、それはどちらとも美しいと

考えてしまいます。

 

そして、どちらが羨ましいかと聞かれても

答えは同じです。

 

母と共に過ごして学んだ淀川さん

母が居なくなって母の偉大さを知った僕。

 

答えは、母は偉大なものであるということ。

何を教わったかといえば

言葉には表しにくいけど

その存在の大きさと温かさで

無言のうちに

僕を導いてくれた母の偉大さと

 

淀川さんの様に

共に過ごすことで知った

母の偉大さ。

 

すこし遅れてしまいましたが

生んでくれた母に感謝を

そして、その感謝の気持ちを教えてくれた

淀川さんに敬意を表して

今日は終わりにしたいと思います。

 

それでは皆さん

さよなら

さよなら

  

さよなら

 

あ、そういえば最近ブログの更新を

二日に1回に減らしたら、ブログランキングの

順位がガタ落ちしてしまいましたので

ついでにランキングのジャンルを

順位争いが激しいところに変えました。

 

順位は下がっても

アクセス数が増えているのが

何よりの励みです

 

最近は広報の仕事より、

梱包の仕事を手伝うのが忙しく、ついつい・・・・・・

こんなつまらない駄洒落を言う

気力しか残っていない僕を

皆さんよろしくお願いします

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

| | コメント (61)

2006年5月16日 (火)

最高の接客。。。その答え

 

懐かしい記憶には色があります。

 

良い思い出は明るい色

懐かしい思い出はセピア色

悲しい思い出は鉛色・・・・・・ 

 

人間の脳というのは上手く出来ているもので、

そのときの匂い、空気の色、

果てはそのときの感情まで

見事に蘇らせてくれます。

 

しかし、意外なことに

見たもの、食べたもの、感じたもの・・・

場合場合によって多少の違いはありますが

雰囲気で覚えていることがほとんどで

細部までリアルに覚えている人はいないと思います。

 

以前

「人は必要の無い記憶から忘れていくものだ」

という話を聞きました。

 

それがどんなに嬉しかろうと、悲しかろうと

今の自分を形成したものの記憶はいつまでも忘れず

不要な記憶から忘れていく・・・・・・と。

 

雰囲気で覚えていることが

幸せか不幸か・・・・・

答えはそれぞれ違うでしょうが

記憶というものは

曖昧であるからこそ

美しいのではないかと、僕は思っています。

 

さて、先日の話の続きです。

 

最高の接客とは何か?

という話でした。

 

僕が考える最高の接客

そして

他人を思いやるとはどういうことか?

 

これに対する答えは

 

「お客様の声に出されない願望を

         如何に満たしてやるか」

 

これに尽きると思います。

 

つまりこういうことです

 

例えば、あるお客様が来店されたとしましょう。

その方は女性で着物を着ておられます。

 

席に案内し

着席

少し待ってから

オーダーを取りに行きます。

まずはドリンクから、

注文は赤ワイン。

 

さあ、あなたが接客マンならどうしますか?

ちなみにお店はファミレスです。

 

最高の接客とは何か?

そこに、一流ホテルもファミレスも関係ありません。

サーヴィスマンとお客様。

その関係だけはどこも同じです。

 

さあ、どうでしょう。

その女性のお客様のために

何かしてあげられることありますか?

 

考えてみてください・・・・・・・・

 

 

 

答えは以外に簡単です。

着物が汚れないように

ワインと一緒に

ナプキンかひざ掛けを持っていってあげることです。

 

単純なことです。

言われれば、「あ、そうか」と納得してしまいます。

 

特別な配慮ではありませんし、

よほどの準備が必要でもありません。

 

しかし、お客様が

差し出されてハッと気づく気遣いや心遣いを、

お客様に言われる前に、

声に出される前に

応えてあげる。

 

これに勝る接客を僕は見たことがありません。

 

あるホテルのドアマンに至っては

常に1000円を10枚1束にして

それを10セット、内ポケットに入れて置くそうです。

 

なぜか?

 

タクシーでワンメーターの距離にある

ホテルにご来店されるお客様が

一万円札しか持たないことを想定して

両替できるようにしておくそうです。

 

タクシーの運転手さんも、

ワンメーターを大きなお金で払われるのは

気持ちのいいものではありません。

その運転手さんが嫌な思いをしないように

そして、運転手さんが不機嫌になると

お客様も気持ちの良いものではありません。

 

その、ほんの少しでも

嫌な思いをさせないように・・・・・・

自分のホテルに来店していただいたときには

良い思い出だけを残していただけるように・・・・

それを考えて、準備しておくのだそうです。

 

これは凄い事だと思います。

これこそが接客。

プロの仕事では無いでしょうか

 

たかがドアマン・・・・・・されどドアマンです。

 

僕もいつか、こんなドアマンのような

接客が出来るくらいの

サーヴィスマンになりたいと思っています 。

 

最後に、こんな話を・・・・・・・

  

場所は波打ち際、

月に照らされた明かりの下を

二人のカップルが歩いています。

 

少し肌寒くなってきたのか

隣の女性が肩をすぼめます。

すると、隣にいた男性が女性に

コートをかけてあげる・・・・・・

  

ドラマのワンシーンのような

ちょっとキザだけど

一度はやってみたいシーンです。

  

しかし僕には無理です。

 

なぜならこう考えてしまうから。

  

「寒そうなときに

そんなところを歩かせるな!!」と・・・・・

 

気遣いは確かに大切です。

しかし、気遣いが行き過ぎると

せっかく訪れる

チャンスすら逃してしまうようです。

 

結局、オチがついてしまうのね。。。。。。。。。。。。

 

ロマンチックさとは縁が無い

こんな僕に、いつものワンクリック

お願いします。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

| | コメント (2)

2006年5月14日 (日)

最高の接客とは?

 

飲食店のみならず

サービス業に従事する人にとって

接客というのは、とても大事な仕事です。 

 

よく、料理と接客、どっちが大事だと思う?

 

という質問を受けますが、

正直なところ半々だと思います。

 

僕が考える料理と接客に関する認識は

 

まず、料理はおいしくて当然。接客においても、

お客様に不愉快な思いをさせないのは当たり前。

これは最低限クリアするべきところだと思っています。

 

だって、そうでしょう。

お金払って、時間を使って

良い思い出を作るためにお店に行くのです。

そして、そこには

良い料理と良い接客をするためのプロがいて

店と自分の存在を賭けて

お客様と対峙するのです。

 

美味しくないはずがありません

そして

良い気持ちにならないはずが無いのです。

 

しかしながら、最近そうでない店が

異常に多い気がするのは

僕だけでは無い気がします・・・・・

 

だからこそ、考えます。 

  

最高の料理、そして最高の接客とは何か?

 

 

世の中には色々な美味しいものがたくさんあります。

和食に限らず、フレンチやイタリアン、

SweetsにWine等など、

各分野に

それはそれは、美味しいものがたくさんあります。

 

そして、全ての料理に共通して言える

最高の料理とは何か?

 

一言で言えば

 

その料理が、どれだけ記憶に残っているのか

 

これに尽きると思います。

 

わが宗右衛門のテーマは

 

 生涯の記憶に残る美味しい食事。

 

これは、本当に良い料理というのは

舌ではなく、記憶に残るもの

だと言う経験から学んだものです。

 

どこそこで食べた、あの料理。

あの時食べた、あれ!!

 

全て、味ではなく体が覚えているものです。

 

そのために必要なものは何か?

 

それは、お客様が経験したことの無い

味に出会うことだと思います。

 

例えば、僕達が扱っている伊万里牛。

日本全国、牛を食べたことが無い人はいないでしょう。

牛と言えばどんな味がするか分かっています。

 

だからこそ、その基礎知識がある中で

経験したこと無い味を

味わっていただくには

並大抵の事では表現できません。

 

まったく口にしたこと無い料理ならまだ分かりますが、

ましてや、素材の力だけで勝負するとなれば

小細工なども全く通用しません。

  

しかし、

その状況下で

本当に経験したこと無い味に出会えたなら・・・・

 

一体どれだけの喜びを味わうことが出来るでしょうか。

 

だからこそ僕達が考える最高の料理とは

どれだけ記憶に残る料理なのか?

だと考えています。

 

さてさて、身内自慢はこのくらいで・・・

 

では、今日の本題 

最高の接客とは、何でしょうか?

 

接客は、料理と違って形が無いものです。

物で勝負する料理と違い

接客は人で勝負をします。

 

これは、料理よりも難しいことでは無いでしょうか?

 

最高の接客・・・

 

皆さん考えてみてください。

これは何も、接客業に限ったことではありません。

 

普段の生活で言えば、

相手を思いやるとはどういうことか?ということです。

恋人や夫婦の関係、医療業務に携わる人、

スポーツ選手。

全ての人に当てはまることだと思います。

  

次回、この問いに関する僕の考えを

述べたいと思います。

その前に、皆さんが考える

最高の接客、最高の思いやりとか何か?

これを考えてみて頂けたら幸いです。

 

勿論、僕の考えが全てではありません。

僕より、もっと素晴らしい意見があると思います。

 

もし、僕はこう思う!!私はこう思う!!

という意見などありましたら

それを、ここを読む皆さんにも見ていただけるように

コメント欄に書いて頂けたら嬉しいです。

 

では、考える前に・・・

いつものヤツをお願いします。

一日一回、ワンクリック^^

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

おかげ様で料理ブログの16位まで上がりました。

一人でも多くの皆さんに読んでいただき

そして、一人でも多くの人が

食べることは楽しいことだと

言える様に・・・・感謝感謝!!

 

 

 

  

| | コメント (5)

2006年5月11日 (木)

”もったいない”を大事にしよう

 

ゴールデンウィークが終わり

わが宗右衛門も

いつも通りの営業に戻りました。 

 

新入社員のみならず

大半の人が実家に帰っていた様で

全国各地のお土産自慢が始まります。

 

もともと九州出身者が多いのですが

福岡の 明太子

鹿児島の 薩摩蒸気屋 かすたどん

佐賀の 佐賀錦に始まり

 

北は北海道の 白い恋人

  新潟名物の 笹団子

  茨城県の  にんにくせんべい  等など

 

それこそ全国各地のみやげもの物産展が

開けそうな勢いです。

 

僕はゴールデンウィークも

東京に残り

店長と電話応対やブログの更新等を

していましたので

みんなのお土産を独り占め。

勢いよくビリビリと包装紙を破いていきます。

 

そんな様子を眺めていた店長が

そんな僕達にこんな話を始めました。

 

「昔、実家でお土産を貰うと必ず

 婆ちゃんや母ちゃんが丁寧に包装を解き、

 折り畳んでいた姿を思い出すよ。

 

 20年以上も前の出来事だけど、

 まだまだバブルすら始まってなかったからなあ。

 ウチに限らず、他所の家でもそうだった。

 当時の人たちからすれば、

 包装紙の綺麗な包み紙でさえ

 捨てることに抵抗があったみたいだね。

 

 まあ、田舎だったから単に

 記念に取っといただけなのかも知れないし

 いまは、そんなのもやって無いんだろうなあ。」

 

そういわれれば、

ウチの母ちゃんもそんなことを

やってた思い出があります。

 

包装紙ではありませんでしたが

和菓子の包んであった和紙を綺麗にたたんで

 

「これで、今度お兄ちゃんにあげる

 お菓子を包んであげるね。」

 

と言われたことを思い出しました。

 

近くの駄菓子屋のお菓子が

チョットおしゃれなお菓子に大変身。

とても喜んだ記憶があります。 

 

「いつか使える」

そういいながら

包装紙も空箱も捨て切れず、棚の中へしまい込む。

 

豊かになった今では

その「いつか」すらほとんど機会が無く

タンスならぬ棚の肥やしにしかなっていなかったけど

それでも捨てるのをためらう母ちゃんたち。

  

そういえば

母ちゃんがいつも持ってたバックは

「寿屋」の布製の買い物バックだった。

おしゃれでもなんでもなかったけど

母ちゃんがいつも持っていた思い出のバック。

 

お金はあるにこしたことはないが、

幸せの尺度はほかにもある。

紙一枚を大切にする心を捨て去っては、

本当の幸せや豊かさは

遠のいてしまう気がするのは僕だけでしょうか?

 

幸せは感じるもの

物は手に入れるもの

 

そう考える僕はきっと

お金持ちには成れないんでしょうね。

 

そんな僕と心を共に

ぼろは着てても心は錦

を目指す人は

Banner2_5←ここをクリックしてくださいね。

 

そういえば、後ひと月でワールドカップ

日本は一次予選通過できるのでしょうか?

個人的には、ロナウジーニョのトリックプレーが見たい。

でも、日本には頑張って欲しい。 

頑張れ日本。 

| | コメント (18)

2006年5月 5日 (金)

友との約束

鬼塚喜八郎さんと言う人をご存知ですか?

 

現在87歳の喜八郎さんは

今では少なくなった

戦争体験者の一人。 

 

出身は鳥取県で

旧姓は坂口だったのですが

終戦後のある出来事をきっかけに、

神戸に移り住み

姓を鬼塚に改めることになります。

 

 

終戦当時、坂口喜八郎だった彼は

復員して間もない昭和二十一年の正月、

島根県の実家で一通の手紙を受け取ります。

 

差出人は神戸の老夫婦。

 

勿論、喜八郎さんには心当たりがありました。

この老夫婦、実は戦死した戦友

鬼塚君の両親だったからです。

 

喜八郎さんは異国の戦地で

親友の鬼塚君と約束を交わしていました。

 

「もし、お前がここで死んで、

俺が生きて帰ることになったら

お前の両親の面倒を必ずみてやる」、と・・・

 

つまり、喜八郎さんに届いた手紙とは

鬼塚君の両親からの

”お願い”と言うべきものだったのです。

 

終戦まだ間もなく、その傷跡も深いころ。

どうやって生きていけばいいのか、

誰もが途方に暮れていたとき。

 

実の家族の

明日の食べ物すらなかった時代に

戦友の親を養うという馬鹿げた話。

 

 「そんなこと、できるはずがない」

 と親兄弟は猛反対。

 

しかし、喜八郎さんは

 「約束は守らないといけない」

と鳥取から神戸へ。

 

そして、自分の決心を鈍らせないために

鬼塚夫妻の養子となり

鬼塚喜八郎となりました。

 

 

鬼塚の家もけっして裕福な家ではありません。

借家暮らしの平凡な庶民の家です。

そして、年老いた両親は年金生活…。

 

会社勤めをしながら

鬼塚家での共同生活が始まりました。

給料は全部鬼塚の家に入れました。

 

それでも、喜八郎さんは

文句一つ言わず

ただひたすらに働きます

 

今では港町として栄える神戸も

当時はまだまだ未発展の地。

戦後の神戸は、

怪しげなパンパンガールや

不良少年(少女)がたむろしていた時代。

 

「この子どもたちが運動靴を履いて

 元気に野原を走り、

 笑顔を取り戻してくれたら…」

  

喜八郎さんはそんな願いを込めて

友人の、いや、今は自分の

名前を記し

「オニツカタイガー」と命名された

運動靴を作り始めます。

 

雨の日も、風の日も

来る日も来る日も

一生懸命に

作り続けます。

 

死んだ戦友との約束を守るため

 

そして、育ててくれた家族に報いるため

 

金儲けではなくみんなの希望のために

 

だからと言って、現実は

そう簡単にうまくはいきません。

資金繰りに困ったことも…。

 

しかし、夢を語る鬼塚さんの

誠意、情熱が認められ、

事業は成功したそうです。

 

当時の庶民の人たちに

現代に生きる僕達に

夢と希望を与えてくれた

鬼塚さん。

 

筋を通し

どんなつらいときも

どんな孤独なときも

常に明るく

未来のために働き続けた男の背中が

僕らに語りかけるものは何でしょうか?

  

男が吐いた言葉の重みは

覚悟の表れなのです。

 

 

鬼塚喜八郎

  

誰もが知る

世界5大スポーツ用品

メーカーの一つ

”アシックス”の創業者です。

Banner2_5男気を感じた人はココをクリック

 

| | コメント (4)

2006年5月 4日 (木)

50年前

 

 

「ゼニは一銭もいらん。

 

そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に

 

水銀母液ば飲んでもらおう。

 

上から順々に、四十二人死んでもらう。

 

奥さんがたにも飲んでもらう。

 

胎児性の生まれるように。

 

それでよか」

 

 

これは今から遡ること五十年前に、

水俣病の被害者、家族の思いを綴った

石牟礼道子さんの言葉です。

 

母なる海を

 〝死海〟にしてしまった

     戦後最大の公害、水俣病。

 

九州生まれの僕にとっては

遠く無い場所での惨劇です。

 

 

いわれなき死に見舞われた人たち。

 

生まれながらに

有機水銀という〝毒〟にむしばまれた人たち。

 

誕生日が二回も三回も、また何回きても

這(は)うことも、しゃべることもできない子どもたち

 

母の目はじっとその子を見つめている。

 

人間であることを

生まれながらに

否定された子供達。

 

その責任を

その悲しみを

誰に求めたらいいのだろう

 

求めたところで

生まれ変わることは出来ず

過去に遡ることも

後悔することすら出来ない。

 

人は言う。 

 

かわいそうだね、と。

 

まるで他人事のように。

いつ自分が被害者に、

いや

加害者になるかもしれないのに

 

感情論だけで

学ぼうとはしない。

 

僕は考える。

 

農薬まみれの野菜

インフルエンザにかかった鶏

 

そして、それらを体に悪いと分かっていても

むさぼり続ける私達。

 

50年後、

蓄積された毒で

蝕まれるのは

私達の子供の子供達。

 

私達がやるべきことは何か?

生きるとはどういうことか?

 

生きることに正解は無い。

しかし私達は

水俣病になった人たちから

学ばなければならない。

 

それは自分のためではない。

人生80年。

その後に続く未来の人々が

明るい時代を送ることが

出来るように。

 

それが私達の使命ではないだろうか。

  

 

『苦海浄土-わが水俣病』

 

この本で、石牟礼さんは

第1回大宅壮一賞の対象となったが

固辞している。

 

そして、記録ではなく

記憶に残る本として

今も読み続けられている。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

| | コメント (5)

2006年5月 2日 (火)

心に問いかける話

それは釈迦が地獄を歩いている時のことだった。

地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に

「食べ物をくれ!」

と叫ぶ。

 

その言葉を聞いた釈迦は

皿の上に食べ物を山のように盛り

人々の前に置いて

こう言ったという。

 

「食べても良いが、手掴みで食べてはいけない。

        この箸を使って食べるように」

 

そう言って釈迦が差し出した箸は

重くて長い箸だった。

 

人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、

箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。

ところがあまりの箸の長さに

食べ物を掴んでも食べることは出来なかった。

 

ならば箸の先っぽに近いほうを持てば 

と試みたが、今度は箸の重さで

満足に操ることもできない。

 

結局、目の前に山のような御馳走があるのに

誰もその料理を口に入れることができないのである。

 

人々が泣き叫んでいると

ある一人の老人が何事かを思いついた。

 

箸で食べ物を掴んだら

自分ではなく

目の前の人の口に入れて見たらどうか・・・と。

 

食べさせてもらった人は

もっと食べたいから、

箸で食べ物を掴み

自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。

 
 
自分だけでは食べられなかった物が

人に食べさせることによって自分の口に入る。

 

人を思いやることが

結局は自分に戻ってくることにつながるのだ・・・・・・・・

 

 

  

昨日お風呂に浸かりながら、この本を読んでいた。

 

そして考えてみた。

 

極東の小さな島国に住む我々日本人。

四季に恵まれ、海に囲まれ

何不自由ない生活をしているにもかかわらず

巷には、今日も地獄さながらの批判や醜聞が

あふれている。

 

ライブドア

耐震偽装

 

テレビに映るのは、わが身かわいさに

嘘ばかりの大人たち。

 

人は何かを手に入れるために

何かを捨てなければならないと言う。

 

金を手にするために

己の心を売り物にした大人たち。

 

求める過ぎるから

捨てなければならないものが増える。

 

釈迦の説法に出てくる地獄の住人達。

一度は地獄に落ちた者達に

求められたのは

 

ふと立ち止まって考えること

 

もう一度、外から自分を眺めてみたらどうだろうか・・・

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

 

そして、彼らにも、このブログを読む皆さんにも

読んで欲しい、僕の好きな話があります。

忘れてはならない何かを

常に僕の心に訴えかけてくれる話です。

http://www.9033700kg.com/ka_chan2nd.html

 

では、また

 

| | コメント (36)

2006年5月 1日 (月)

銀杏

最近、知り合いが国際交流のイベントに

参加したらしく、そのときの経験を話してくれた。

 

2ヶ月掛けて計画したイベントで

その下準備をし、材料を集め、広告を打ち

申し込みを募る。

 

200人近い申し込みがあり喜んでいたのも束の間

当日、会場に行ったら参加者がその日になって

10名程度キャンセルしていたらしい。

 

その理由について彼は、

 

「来なかった参加者の内、6人がアメリカ人だったんだよ。

 アメリカ人って怠け者で個性が強そうだから

 仕方無いし、別に良いんだけどさ。」        

 

と言っていました。

 

先入観とは恐いもので、その話を聞いた時は 

 

「あぁ、やっぱりアメリカ人って自己中なんだなあ」

 

と思ってしまったものです。

 

やはりそれはテレビやインターネットで見る

ハリウッドスターやセレブの人達の姿だけを見て

アメリカ人って、こうなんだ

と言うイメージが先行しているからではないでしょうか。

 

でもよくよく考えてみると、果たしてそうでしょうか?

  

当日になって予約を断ると言うことは

何も国際交流事業に限った事ではありません。

僕が働いていた店でも

宴会当日になって都合でキャンセルしたり

人数が減ったりすることは当たり前。

 

そのときふと、思い出したことがありました。

それは「銀杏」の事です。

 

給食の時に出ていた銀杏ご飯や

宴会のときに出てくる、妙に臭い茶碗蒸しの銀杏

 

あれだけを食べて「銀杏は不味い!!」

と思って僕は、料理の世界に入って初めて

本当の銀杏の美味しさに目覚めました。

 

白い殻につつまれた銀杏を割って中を見ると

エメラルドグリーンに輝くその物体。

軽く炙って

塩を振り

ひょいっと食べてみる。

  

もっちりとした食感に

程よい甘みと口いっぱいに広がる風味。

 

これが本当の銀杏か!!

 

と驚いたことを覚えています。

 

それじゃあ、僕達が今まで食べていた

あの銀杏は一体何?

と言う話になりますが、

あの銀杏は中国産の冷凍物の銀杏だと言うこと

知ってました?

 

勿論中国産だから不味いのではありません。

中国の銀杏も日本の銀杏も元は同じ。

では何が違うのかと言えば単に処理の方法です。

 

日本では風味を生かすため、殻付きの新鮮な物だけを

扱いますが、中国で輸出向けに扱われる銀杏は

扱いやすさと日持ちが優先され、味は二の次。

 

単にこれだけの理由なのです。

 

こう考えると、銀杏は臭くて不味いと言う先入観も

間違いですし、中国産だから不味いわけでも

有りません。

理由は他に有ったのです。

 

さて、くだんの友人に電話をして

この話を伝え、詳しく聞いてみると

 

その国際交流会、

参加者の5割以上がアメリカ人だったとの事。

 

そう考えれば、参加者の5割以上がアメリカ人で

欠席者の内アメリカ人は3割。

 

じゃあ、むしろ出席率良いじゃないか。

と言う話です。

 

十人十色。

外国人に限らず、初めて出会うものがあると

やはり第一印象と先入観で人を判断してしまいがちです。

 

見た目で判断するのではなく

先入観を外して、じっくりと中身を探ってみる。

 

中身で判断するのが大事だと言うことですね。

 

と言うことで

中身で勝負する僕のブログに

ワンクリックお願いします。

Banner2_5←人気ぶろぐランキングです

 

 

 

 

| | コメント (16)

2006年4月29日 (土)

子供を持つお母さんへ   2

僕が以前勤めていた店は

コース料理が主体の店で

予約をしてから来店されるお客様が

ほとんどでした。

 

女性のお客様が多かった事もあり

子供を連れて来店されることもしばしば。

 

そんな時、一番対処に困るのが

周りの迷惑顧みず騒ぎ出す子供達です。

 

店自体が日本家屋を改築して作ってあったので

マンションやアパート住まいの

お子さんからしてみれば

嬉しかったのでしょう。

 

廊下をバタバタ走り回り

大声を出し

挙句の果てにはかくれんぼ・・・

 

気持ちは分かるんです。

好奇心旺盛な子供達ですから。

 

しかし、他のお客さんからしてみれば

せっかく静かな食事をしに来たのを

台無しにされ、見るからに不機嫌です。

 

お母さん達にしてみたら

せっかくのランチのときぐらい

子供をほったらかして

おしゃべりしたい気持ちも分かります。 

 

少しぐらいのことなら僕達も大目に見ます。

しかし、あまりにひどいようなら、

子供の気持ちは分かるけど

大人しくさせるのが親の役目でしょう。

 

しかし、最近ではそのことを注意すらしない

お母さん達が

何処に言っても目立ちます。 

 

そんなときの店側の対処としては

まず子供に、自分の席に戻るように言います。

しかし、それでも言うことを聞かなければ

他のお客さんたちの手前